近年は精神論が嫌われていますね。
私が10代の頃(1980年代)は「努力」や「根性」や「気合い」が学校とかでも植え付けられていました。野外でスポーツをしていても水を飲ませてもらえなかった時代です。正直当時はこの精神論は苦痛でした。
近年はこの概念は時代遅れとされるようになってきてます。特に若いビジネスパーソンには努力・根性などを言うと、鼻から話を聞いてもらえないんじゃないでしょうか。
確かに、ただ努力しても、どうしても届かないことはあります。上司等から無茶な営業成績を要求されて、それができなかった時「お前には根性が足りない💢」などと言われても「そんな精神論で営業が向上するか、バカ上司💢」と思われる事になります。
持論を述べますと、精神論は正しいと思います。努力も根性も、そして時には気合も必要です。なぜなら人は天職努力してこそ生きられるのです。学生ならば勉学を勤しむのが本分です。将来役に立ちそうもないことでも必修科目ならばやらないわけにはいきませんし、高校受験・大学受験で進学したい学校が定まっているならば尚更です。それ為には、決して好きでない勉強をする時間を取らなくてはなりません。それは、「努力」以外の何者でもありませんから。
社会人でも同じです。決して自分の得意分野じゃない苦手な仕事をこなさなければならないことは、どんな職業の人でもぶつかると思います。その業務を乗り越える為には、「根性」以外の何者でもありませんから。
苦手な事や嫌いな事を避けて、自分が得意なことだけを、自分がワクワクすることだけをやって生きていけばいいなんて、トンデモない、まやかしです。仮にそんな生き方を突き通したとしも、避けて通れない厄介ごとや悩みごとは人生では必ずあるものですから、その時になって行き詰まってしまうでしょう。
そして何よりもこういう考え方の人は、間違いなく人に対して思い遣りのない人です。金儲けは得意かもしれませんが、相手を思い遣る心が掛けているカタワです。おそらく周りとの調和ができない人格だと思います。
ただし、無駄な努力は時間の無駄です。右に進むべき時に、逆らって苦労して左に行くような人は結局遠回りして無駄をしています。こういう人は我が強い人に多いですね。
結論を述べると、努力・根性・気合いは人生で必要です。そしてこの精神は、私たち日本民族が大祖元以来から継承された大切な精神だと私は思うわけです。
かしこ
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